東海道五十三次の宿場町を巡ろう! 舞坂宿~新居宿~白須賀宿 (JR舞阪駅〜白須賀宿本陣跡/JR鷲津駅までタクシー13分)
※2023年6月現在の情報です。
歌川広重「東海道五拾三次/舞坂 今切真景」
※国立国会図書館デジタルコレクションより転載
舞坂宿~新居宿~白須賀宿
モデルコース
徒歩約3時間/約14.5km ※立ち寄り時間は除く
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舞阪駅START
徒歩約10分(約850m)
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旧東海道松並木
徒歩約15分(約1.2km)
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舞坂宿脇本陣
徒歩約2分(約170m)
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舞坂宿渡船場・北雁木
徒歩約55分(約4.6km)
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新居関跡
徒歩約2分(約120m)
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あと引製菓
徒歩約2分(約130m)
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旅籠紀伊国屋資料館
徒歩約2分(約160m)
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まんじゅや
徒歩約22分(約1.8km)
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うなぎ処かねはち
徒歩約56分(約4.3km)
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おんやど白須賀
徒歩約13分(約1.2km)
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白須賀宿本陣跡GOAL
(JR鷲津駅までタクシーで約13分)
※右上のボタンでGoogleMapアプリでもご覧いただけます。
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旧東海道でも有数の美しさ 「旧東海道松並木」
JR舞阪駅を下車し10分ほど歩いた場所からはじまる「旧東海道松並木」。舞坂宿の東側(江戸寄り)に位置しています。慶長9年(1604年)に江戸幕府が街道の両側に松や杉を植えさせたことが始まりと言われており、正徳2年(1712年)には、並木道の両側合わせて1,420本もの松が植えられていたそうです。現在は、車が通過する道路の両端に並木道が続いており、約700mにわたり大小340本の松が植えられている姿を見ることができます。旧東海道筋には松並木の名所が多いですが、舞坂宿の松並木は、旧東海道筋でも随一の美しさとの声も聞かれます。残念ながら当時の松は1本も残っていませんが、この美しい松並木を見上げながら、古き良き東海道に思いを馳せつつウォーキングをスタートしてみてはいかがでしょうか。
詳細情報
- 旧東海道松並木
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住所:〒431-0211 静岡県浜松市西区舞阪町舞阪(主要地方道細江舞阪線)
アクセス:JR舞阪駅から徒歩10分
TEL:053-452-1634(浜松市観光インフォメーションセンター)
URL:ー
営業時間:ー
休日:ー
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旧東海道で唯一の脇本陣の遺構 「舞坂宿脇本陣」
舞坂宿は、江戸から数えて30番目の宿場にあたり、東西の交通を結ぶ今切渡しの渡船場でした。現在の舞阪町は、しらすをはじめとした漁業が盛んで、弁天島の赤鳥居や弁天島温泉がある風光明媚な町です。そんな舞坂宿にある「舞坂宿脇本陣」は、浜名湖のほとりに位置し、かつて参勤交代などにより本陣の利用が重なった場合に代わりの宿泊施設として利用した脇本陣です。当時の町並みはあまり残されていませんが、天保9年(1838年)建築の旧脇本陣「茗荷屋(みょうがや)」の上段の間があった書院棟が残されています。旧東海道では唯一の脇本陣の遺構であり、この貴重な脇本陣を後世に伝えようと建物が復元され現在に至ります。舞坂宿脇本陣の間口は5間(9m)と広くはありませんが、奥行きは3倍の15間(27m)もあり中庭やかまどの台所などを備えた2階建て構造になっています。他にも、本陣と同格にするために、通常は本陣で用いられる「畳廊下」や「屋根付きの玄関」なども見ることができます。また、身分によって部屋はもちろん、湯殿(現在のお風呂場)も分けられており、「下湯殿」は木製、「上湯殿」は漆塗りの仕様になっています。館内は無料で見学することが可能ですので、当時の脇本陣の様子を詳しく知ることができる舞坂宿脇本陣で、江戸時代の旅気分を味わってみてはいかがでしょうか。
詳細情報
- 舞坂宿脇本陣
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住所:〒431-0211 浜松市西区舞阪町舞阪2091
アクセス:JR弁天島駅より徒歩10分
TEL:053-596-3715
URL:https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/w-machi/culture_art/maisaka_wakisakahonjin/index.html
営業時間:9時~16時
休館日:毎週月曜日(祝日、振替休日の場合はその翌日)、12月29日から1月3日
JR東海ツアーズ社員の
スタッフレポ♪大名が宿泊した「上段の間」は、日の光が差し込む中庭を超えた先にありました。他の座敷よりも1段高くなっており、床の間を有していることからも厳格さが伝わってきます。また、2階に上がると江戸時代の「駕籠(かご)」が展示してあります。厳密には、高級なものを乗物、簡素なものを駕籠と呼ぶそうですが、この展示は「乗物」に属し、大名などの身分の高い方が利用した本物だそうです。貴重な空間で舞坂宿や脇本陣に関して学ぶことができ、今後も後世に残すために守り続けてほしいと感じました。
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舞坂宿と新居宿を結ぶ渡船場 「舞坂宿渡船場・北雁木」
江戸時代、舞坂宿から新居宿までの交通手段は渡船であり、舞坂宿側の渡船場を雁木と言いました。中でも、「北雁木(きたがんげ)」は、舞坂宿に3カ所あった渡船場の中で、一番北側に位置しています。雁木とは階段状になっている船着場のことを指し、本来は「がんぎ」と読みますが舞阪町では昔から「がんげ」と呼んでいるそうです。舞坂宿渡船場は、明暦3年(1657年)から寛文元年(1661年)にかけて構築され、その後、数多くの災害に遭いながらも修復を繰り返し今日に至ります。両側の白い石垣部分は昭和28年(1953年)の台風で崩れた石垣を組み直したものです。因みに、階層によって利用する渡船場が分かれており、一番南に位置する南雁木は庶民や荷物の積み降ろしに使われた渡荷場、中(本)雁木は旅人が一番多く利用した主要な渡船場。そしてこの北雁木は、主に大名や幕府の役人が利用した渡船場で、当時から現存する貴重な石畳が往際から水際まで18mほど敷き詰められている姿を見ることができます(石垣部分等一部補修あり)。
詳細情報
- 舞坂宿渡船場・北雁木
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住所:〒431-0211 静岡県浜松市西区舞阪町舞阪2121−3
アクセス:JR弁天島駅より徒歩10分
TEL:053-597-1117(西区役所まちづくり推進課)
URL:https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/w-shinko/yeel/2021/vol9/maisaka.html
営業時間:ー
休日:ー
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現存する関所建造物としては全国で唯一 「新居関跡」
新居関跡は、慶長5年(1600年)に徳川家康によって設置されたのち、数多くの災害に遭い2度の移転を経て宝永5年(1708年)に現在の場所に建てられました。今は新居関跡という名前で親しまれていますが、正式名は「今切関所(いまぎれせきしょ)」。今から約520年前に地震と風水害を理由に、新居と舞阪との間の陸地が切れたため、浜名湖は海と直接繋がり開口部ができました。この開口部を「今切」といい、創建当時はそこからすぐの場所にあったためこの名前がついたと言われています。この関所が江戸へ入るときは最初の関門であり、江戸から出るときは最後の関門であったことから、全国に53カ所設けられた関所の中でも幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていたそうです。特に、「入鉄砲と出女」と呼ばれる、江戸へ入っていく鉄砲や武器はもちろん、関所を上り下りする女性も「手形」が必要で、不備があれば江戸へ入ることができないほど厳しい取り調べが行われました。明治時代に入り、関所が廃止されたことから取り壊しの動きもありましたが何とか免れ、小学校や町役場として使われた過程の中で多くの部分が失われましたが、面番所は大部分が残り唯一現存する関所建物として国指定特別史跡に指定されています。
詳細情報
- 新居関跡
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住所:〒431-0302 静岡県湖西市新居町新居1227-5
アクセス:JR新居町駅より徒歩8分
TEL:053-594-3615
URL:https://www.city.kosai.shizuoka.jp/kanko_bunka_sports/kankospot/9675.html
営業時間:9時~16時30分
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
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伝統製法でつくる新居宿名物・あと引煎餅 「あと引製菓」
新居関跡大御門の西側すぐ近くにある「あと引製菓」は、新居宿名物の「あと引煎餅」を作り続ける老舗のお煎餅屋です。創業は江戸時代、関所や旅宿が立ち並び多くの人で賑わう中、手遊び火鉢で焼いた煎餅をたまたま宿泊していた大名へ差し上げたところ大変気に入られ、その評判が江戸まで伝わり東海道のお土産として喜ばれたことがきっかけで新居宿名物になったと言われています。その後、大正時代に今の煎餅の形が出来上がりました。「あと引煎餅」の名前の由来は、食べたあとも「あと引かれる、また食べたくなる」そんな煎餅になってほしいと願いが込められて名づけられたそうです。煎餅の形をよく見ると1つ1つ形が少しずつ異なりますが、これは形をつくる最後の工程を手作業で行っているためだそうです。煎餅を焼き上げる工程は専用の機械で行い、最後に人の手を加えるからこそ出る温かみのあるあと引煎餅は、胡麻、海苔・生姜・落花生の4種類を味わうことができます。
詳細情報
- あと引製菓
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住所:〒431-0302 静岡県湖西市新居町新居1264-3
アクセス:JR新居町駅より徒歩10分
TEL:053-594-0127
URL:http://akw48.com/Shops/file/atohikisenbe
営業時間:8時30分~17時30分
休日:火曜日、第2水曜日
JR東海ツアーズ社員の
スタッフレポ♪小麦粉・砂糖・卵といったシンプルな原材料から作られるからこそ、胡麻、生姜、海苔、落花生のそれぞれの味が引き立つ、やや硬めでほのかに甘さを感じる味わいでした。小袋から化粧箱までサイズも豊富なため、ご自宅用はもちろんお土産にもおすすめです。訪れた間にも、地元の方々がお土産で渡す用にたくさん購入されていく姿が印象的で、こうして長年に渡り愛されて続いているのだと感じました。四代目のご主人は「今も昔も変わらないことが必ずしも良いわけではない。」とおっしゃっていましたが、伝統の味を守り続けることは決して簡単にできることではないと思います。この煎餅を食べた人がふと懐かしい気持ちになり、この先もずっと人々の思い出に寄り添い続けるそんなお菓子なのだろうと感じました。
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江戸期の建築様式が色濃く残る 「旅籠紀伊国屋資料館」
徳川御三家の一つである紀州(和歌山)藩の御用達の宿として栄えた紀伊国屋は、江戸時代後期には25軒ほどあった新居宿の中で最大規模を誇った旅籠でした。旅籠とは、旅行者に宿泊場所や食事を提供する場所のことで、一般庶民や公務以外で旅行をする武士が利用した施設を指します。ここ「旅籠紀伊国屋」は、正徳6年(1716年)に「紀伊国屋」の屋号を掲げました。江戸初期に紀州出身の主が新居に移り住み、茶屋を営んだのち旅籠を営み、昭和30年代まで約250年もの間旅館業が続いていたそうです。資料館の中には、旅人が当時利用していた部屋や食事、お風呂などが展示されており、まるでタイムスリップしたかのようなひと時を過ごすことができます。明治7年(1874年)には大火で焼失しましたが、すぐに二階建てへ建て替えと増築が行われ、現在見学できる建物の形へと再建されました。ぜひ、江戸後期の旅籠建築様式の面影が随所に残る「旅籠紀伊国屋資料館」を訪れてみてはいかがでしょうか。
詳細情報
- 旅籠紀伊国屋資料館
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住所:〒431-0302 静岡県湖西市新居町新居1280-1
アクセス:JR新居町駅より徒歩10分
TEL:053-594-3821
URL:https://www.city.kosai.shizuoka.jp/soshikiichiran/kanko/spot/8958.html
営業時間:9時~16時30分
休館日:毎週月曜日(休日の場合開館)、年末年始
JR東海ツアーズ社員の
スタッフレポ♪特に印象に残ったのは、1階奥の庭にある「水琴窟」です。水琴窟とは、竹筒に耳を当てると地中に埋められた甕(かめ)に水滴が落ちてその反響した音を楽しむことができる装飾です。旅籠紀伊国屋資料館では、営業当時(1700年代)実際に使用されていた甕も展示されており、見ることもできます。耳をすまさなければ聞こえないほど小さな音ですが、何度も聞きたくなるような透明感のある美しい音で癒されました。また、水琴窟のある縁側に腰をかけ庭を眺めることもでき、ゆったりとした憩いの時間を過ごすことができました。
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新居町の郷土菓子・「すわま」を作り続ける 「まんじゅや」
創業昭和元年から和菓子を作り続けている「まんじゅや」は、「万寿屋」という屋号からはじまり、その後「まんじゅや」に変更し現在に至っています。長い歴史を持つ「まんじゅや」で販売されている郷土菓子「すわま」は江戸時代に東海道を通って新居宿に伝わったと言われる郷土菓子です。名前の由来は諸説あり、遠州灘の波形「州浜(すはま)」が転じて「すわま」になったと言われているほか、関東のローカルな和菓子である「すあま」というお菓子が起源であると言い伝えもあれば、関西地方のきなこなどの豆粉を使った練り菓子である「すはま」という和菓子が転じて「すわま」になったとも言われています。「すわま」は表に2本の線が入った小判型が特徴で、米粉のほか黒糖、砂糖、醬油などを混ぜあわせたものを蒸して作られる、もちもちとした素朴な味わいの和菓子です。古くからひな祭りの季節に菱餅の代わりに使用されており、各家庭で作られたそうです。現在では、家庭で作られる機会は減ったそうですが、「まんじゅや」のように湖西市の和菓子店で販売されています。令和4年には、地域において世代を超えて受け継がれ、食されてきた食文化として文化庁の「100年フード」にも認定された新居の名物です。
詳細情報
- まんじゅや
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住所:〒431-0302 静岡県湖西市新居町新居1529
アクセス:JR新居町駅より徒歩13分
TEL:053-594-0347
営業時間:9時30分~17時30分
休日:火曜定休
JR東海ツアーズ社員の
スタッフレポ♪店内に入ると和菓子から洋菓子まで様々な種類のお菓子が並んでおり、その甘い匂いにそそられてついたくさん買いたくなってしまいました。特に和菓子は「すわま」をはじめとした季節の和菓子や、「宿場まんじゅう」「関所まんじゅう」など、東海道に由来のある名前がついたものが数多く並んでいたのが印象的でした。お土産に購入した「すわま」と「宿場まんじゅう」を帰宅してからいただきましたが、優しい甘さのおかげで旅の疲れが癒されるようでした。せひ、地域の特色を取り入れたお菓子が魅力の「まんじゅや」に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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東海道の名物・新居の鰻蒲焼を味わえる 「うなぎ処かねはち」
新居の鰻蒲焼は、“丸子のとろろ汁”、“桑名の焼蛤”と並んで東海道の名物と言われ、特に秘伝のタレを使った「紀の国屋弥左衛門」の鰻の蒲焼きは街道名物でした。「うなぎ処かねはち」では、朝一番でさばいた鰻をその日のうちに提供する、という美味しさの基本ともいえる鮮度にこだわり、創業以来使い続けているタレをつけて焼き上げます。鰻の焼き方は関東風と関西風で違いがあることが有名ですが、こちらでいただける鰻は白焼を一度蒸してから焼き上げる関東風で、身がフワフワしているのが特徴です。また、蒲焼、丼、鰻重、ボリューム満点の姿焼きなど多彩なメニューがあることも「うなぎ処かねはち」の魅力の1つ。店内ではお持ち帰り用の鰻も販売しているので旅のお土産にもおすすめです。
詳細情報
- うなぎ処かねはち
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住所:〒431-0303 静岡県湖西市新居町浜名3747
アクセス:JR新居町駅より徒歩約25分
TEL:053-594-1274
URL:ー
営業時間:9時から(お食事11時から)売り切れ次第終了
休日:火曜定休(不定期で連休あり)
JR東海ツアーズ社員の
スタッフレポ♪やはり浜名湖といえば、鰻!ここ「うなぎ処かねはち」は国産のうなぎが産地ならではの比較的リーズナブルな価格で食べられることもあり、地元の方にも人気のうなぎ料理店です。平日のお昼時に訪れましたが、すでに店内はたくさんのお客様で賑わっており、おいしい鰻の匂いが漂っていました。今回注文したのは鰻の3分の2匹分の身が乗った「うな重」。肝吸いとお漬物も付いていました。見たことのないほど肉厚な鰻の身は箸で切れるほど柔らかく、口に入れるとフワフワな食感で少し甘めなタレとの相性は抜群でした。朝から歩き続けていて疲れた体に優しい味がしみ渡り、心もお腹も満たされる贅沢なひと時を過ごすことができました。
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白須賀宿の歴史と文化を学べる 「おんやど白須賀」
潮見坂を上った高台にある白須賀宿歴史拠点施設「おんやど白須賀」は、東海道宿駅開設400年を記念し、白須賀宿の歴史と文化に関する知識を広めるとともに、資料の保存と活用を図るために設置されました。白須賀宿は元々、潮見坂下の海岸沿いにありましたが、宝永4年(1707年)の津波により宿場が全滅となる被害に遭い、翌年に今日の潮見坂上の台地に移転しました。展示室では、遺跡の発掘調査により明らかとなった大津波以前の宿場や村々の様子についての展示や、浮世絵、和歌、道中記などの史料を見ることができます。また、潮見坂を行き交う旅人たちの姿をナレーションとともに和紙人形で表現したジオラマなども展示されており、当時の宿場町の様子が目に浮かんできます。隣接するギャラリーコーナーでは、地元の方による写真展なども開催されており、訪れた人を楽しませてくれています。
詳細情報
- おんやど白須賀
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住所:〒431-0451 静岡県湖西市白須賀900番地
アクセス:JR鷲津駅よりタクシーで約13分
TEL:053-579-1777
URL:https://www.city.kosai.shizuoka.jp/soshikiichiran/kanko/spot/shirasukashuku/1221.html
営業時間:10時~16時
休館日:毎週月曜日(ただし、月曜日が祝日または振替休日の場合は翌日)12月29日~1月3日
JR東海ツアーズ社員の
スタッフレポ♪約600mに及ぶ急な上り坂を上った先にある「おんやど白須賀」はホッと一息付ける休憩スペースもあり、歴史を学びながら体を休めることができるという東海道五十三次ウォーキングにはぴったりの施設でした。館内の展示スペースでは白須賀宿の歴史を知ることができ、大津波に襲われ高台に移転することを余儀なくされた経緯などは、今も昔も変わらない自然の脅威を感じました。展示されているジオラマは東海道中膝栗毛に登場する弥二さん喜多さんが出演するミニドラマ風になっており、幅広い年代の方にも分かりやすい解説で当時の白須賀宿の様子を知ることができました。また、東海道屈指の景勝地としても知られている「潮見坂」についての浮世絵や資料も展示されており、当時の旅人たちにとって目の前に広がる太平洋を臨む眺めは、旅の疲れを少しでも忘れさせてくれる存在だったことを伺い知ることができました。
編集後記
舞坂宿~新居宿~白須賀宿の行程は比較的平坦な道が多くとても歩きやすかったのですが、後半の潮見坂が想像以上に急な坂で思わず面食らってしまいました。浜名湖や太平洋が近いエリアということもあり、渡船場や津波の被害など「水」にまつわる話が多いのも特徴の1つだと感じました。昔ながらの町並みが残っている部分はそこまで多くはありませんが、地元の方たちが昔の資料を参考にしながら建物を復元し、当時の史料展示を行うなど、昔の人々の暮らしを今に伝えようとする想いの強さを感じながら歩くことができました。そして何より、潮見坂から臨む太平洋の眺めはとても素晴らしかったので、ぜひこのコースのウォーキングを通して一度はご覧いただきたいと思いました。
- ※営業時間などは変更される場合があります。お出かけの際には改めてご確認ください。
- ※当サイトに使用している歌川広重「東海道五拾三次」の原画は、国立国会図書館デジタルコレクションを元に加工いたしました。
※本サイトに掲載の画像は全てイメージです。