東海道五十三次の宿場町を巡ろう! 大津宿〜京都三条大橋 (JR膳所駅〜京都三条大橋/JR京都駅まで京都市営地下鉄で約10〜20分※烏丸御池駅にて乗り換え有)

※2024年1月現在の情報です。

歌川広重「東海道五拾三次/大尾 京師・三條大橋」

歌川広重「東海道五拾三次/大尾 京師・三條大橋」

※国立国会図書館デジタルコレクションより転載

江戸・日本橋を起点とする東海道五十三次をたどるウォーキングの旅。今回は、琵琶湖水運で栄えた五十三番目の宿場町「大津宿」を出発し、東海道五十三次の終着点「京都・三条大橋」を目指す約14kmのコースをご紹介します。
近江と山城の国境にある逢坂山や日ノ岡峠を越えるため多少高低差はありますが、国道1号線沿いや住宅街の旧道も舗装路ばかりですので歩きやすい道のりです。
幕末まで五街道では車の往来が禁じられていましたが、都に近い大津~京都間だけは例外であり、荷物を積んだ牛車用に車石を敷いた車道(くるまみち)が整備されていました。街道沿いにはその車石が多く残されており、近代化された街並みの中にも伝統的な町屋が建っています。時代を越えて愛され続ける東海道の名物なども味わいつつ、往時の雰囲気を感じながら歩くことができるコースです。
古の旅人たちのように、東海道の終着点・京都三条大橋を目指して歩いてみてはいかがでしょうか。

ルート&スポットMAPルート&スポットMAP

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歩いて巡るスポット歩いて巡るスポット

  • 木曽義仲・松尾芭蕉の墓がある 義仲寺ぎちゅうじ

    義仲寺

    粟津ヶ原で源頼朝軍に襲われ壮絶な最期を遂げた、朝日将軍木曽義仲の墓所がある義仲寺(ぎちゅうじ)。義仲の大ファンであった松尾芭蕉が、近江にも多くの門人がいたことでたびたび訪れ定宿にしていたことでも知られるお寺です。当時寺の前には東海道が通っており、琵琶湖に面した景勝地であったことも芭蕉が好んだ理由であったと伝わります。芭蕉は後に大阪で亡くなりますが、生前の遺言から義仲寺に運ばれて葬儀が行われ、義仲の墓の横に芭蕉の墓も建てられました。芭蕉の辞世の句「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」など多くの句碑も観ることができます。ほかにも義仲を供養した側室の巴御前の塚などがあり、境内全域が国指定の史跡となっています。

    詳細情報

    義仲寺

    住所:滋賀県大津市馬場1-5-12

    アクセス:JR琵琶湖線膳所駅より徒歩10分/京阪電鉄石山坂本線京阪膳所駅より徒歩10分

    入場料:一般500円、高校生・中学生200円、小学生100円

    TEL:077-523-2811

    URL:https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/410/

    営業時間:【3月~10月】9時~17時 【11月~2月】 9時~16時

    休日:月曜(※月曜が祝日、振替休日の場合は開門し、翌日休み)

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    義仲寺

    お寺の方にお話を伺うと、「武」の木曽義仲と「文」の松尾芭蕉が並んで眠るこのお寺は、いわば文武両道、今流行りの二刀流のお寺だそうです。また義仲と芭蕉の生きた時代は約500年を隔てていますが、波乱万丈な生き方をした義仲は、芭蕉にとっての「推し」の武将であったとのこと。その「推し」の武将と並んで眠るというのは究極の「推し活」である、というお話はとても印象深いものでした。ほかにも伊藤若冲の天井画「四季花卉の図」が残されている翁堂などもあり、境内はゆったりと時間が流れていて小さなお寺ながら見どころが多いスポットでした。

  • 百人一首にも詠まれた 逢坂山関祉おうさかやまのせきあと

    逢坂山関祉

    京都に隣接する大津は、何度となく歴史の舞台となってきた地です。その中で、古来から交通の要衝であったのが逢坂の関。平安時代には、京を守る重要な関所である三関(鈴鹿関・不破関・逢坂関)の一つとして重要な役割を果たしていましたが、平安後期からは徐々に形骸化され、形を失っていきました。
    また「逢坂の関」は歌枕としても名高く、百人一首に詠まれた蝉丸や清少納言の歌碑も立てられています。源氏物語や枕草子にも登場する、歴史深い場所だといえるでしょう。なお実際に関所があったのは、記念碑よりやや大津寄りの関寺付近であったのではないかといわれています。

    詳細情報

    逢坂山関祉

    住所:滋賀県大津市大谷町22

    アクセス:京阪電鉄京津線大谷駅より徒歩5分

    入場料:-

    TEL:077-528-2772(公益社団法人 びわ湖大津観光協会)

    URL:https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/969/

    営業時間:-

    休日:-

  • 峠の茶屋がルーツの老舗鰻料理店 「逢坂山かねよ」

    逢坂山かねよ

    明治5(1872)年創業の「逢坂山かねよ」は、江戸末期の峠の茶屋をルーツとする老舗鰻料理店です。かつて伊勢付近から京へ鰻を運ぶ若者が、茶屋で一服するうちに茶屋の娘と恋に落ち、逢坂の地で鰻屋を開いたのが始まりといわれています。 かねよの名物は、鰻の上にだし巻き卵をのせた「きんし丼」。この丼には当初、一般的な錦糸玉子(玉子汁を巻き鍋に流し薄く焼き上げたものを何枚も重ね、細く刻んだもの)をのせていました。しかし店が忙しいときに客から料理を催促され、幅を大きく切ってのせたところ大変喜ばれ、それをきっかけに生まれたといいます。その後、だし巻き卵をもっと大きくしてほしいとリクエストされ、現在の「きんし丼」の形になったそうです。
    本店の庭園には逢坂関のかんぬき石や大津絵のシンボル「鬼の念仏」の信楽焼像などがあり、鰻が焼き上がるのを待つ間に散策も楽しめます。
    ※土日祝日は大変混雑しますので時間に余裕をもってご来店ください。なお、お持ち帰り用のきんし丼(出来上がりまで20〜30分程かかります)や、土日祝日限定で店頭販売されるたれご飯にうなぎが入った「うなむすび」などもあります。

    詳細情報

    逢坂山かねよ

    住所:滋賀県大津市大谷町23-15

    アクセス:京阪電鉄京津線大谷駅よりすぐ/JR大津駅からタクシーで約10分

    TEL:077-524-2222(本店)/077-522-6151(レストラン部)

    URL:https://www.kaneyo.in/index.html

    営業時間:11時~20時

    休日:本店 木曜、レストラン 火曜(月に1回不定休あり)

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    逢坂山かねよ

    見た目にも迫力のある「きんし丼」。蒸さずに焼く関西風の地焼きの鰻は表面は香ばしく身はふわふわと肉厚で、「さくふわ」な食感を楽しめとても美味しかったです。またきんし玉子は、ミルフィーユ状に何層にも焼き重ねただけにボリュームたっぷりで、鰻ともよく合いました。今回は特別に鰻やきんし玉子を焼く様子も見学させていただいたのですが、その職人技に感動した分、余計に美味しく感じました。
    また、なぜこの山の中で鰻なのだろう…と思っていましたが、お店のルーツや、谷の湧き水で鰻を2〜3日休ませることで臭みが抜けるといったお話を聞いて納得しました。社長にもお話を伺ったところ、鰻料理にも江戸の「蒸し」文化、名古屋のひつまぶし、福岡のせいろ蒸しがあるように、鰻のように長い日本列島にはそれぞれの地域に多様な食文化や楽しみ方があるので、是非実際にその土地を訪れてご当地の味を楽しんで欲しいとお話されていたのが印象的でした。
    私たちも美味しい鰻にパワーをいただいて、ゴール地点の京都三条大橋を目指しました。

  • 音曲芸能の神として信仰される 蟬丸神社せみまるじんじゃ

    蝉丸神社

    歌人で琵琶の名手・蟬丸を主神として祀る蟬丸神社。現在の社殿は万治3(1660)年の建立で、街道の守護神として猿田彦命と豊玉姫命が合祀されています。平安中期の琵琶の名手・蟬丸は、「盲目の琵琶法師」と呼ばれ、音曲芸道の祖神として崇敬されてきました。また歌人としても名高く、逢坂山の関を詠んだ「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(現代語訳:これがあの、東国へ旅立つ人も都へ帰る人も、知っている人も知らない人も、別れてはまた会うという逢坂の関なのですね)は、百人一首の10番目の歌として有名です。

    詳細情報

    蟬丸神社

    住所:滋賀県大津市大谷町21-6

    アクセス:京阪電鉄大谷駅より徒歩1分

    入場料:-

    TEL:077-522-3044(問い合わせ先:三尾神社)

    URL:-

    営業時間:-

    休日:-

  • 牛車の通行を助けた車石を復元 閑栖寺かんせいじ

    閑栖寺

    天文23(1554)年、美濃の武士であった室町時代後期の真宗の僧・西向が創建し、念仏道場を開いたと伝わる閑栖寺(かんせいじ)。境内には東海道の大津~京都間三里(約12km)の道にあった「車道(くるまみち)」が一部復元されています。車道とは、大津の港に荷揚げされた米などの物資を都へ輸送する牛車の通行を楽にするために、花崗岩(かこうがん)の車石(くるまいし)を2列に敷き詰めた道です。当時五街道では幕末まで車の往来が禁じられていましたが、都に近いこの区間だけは例外でした。京に向かって右側は車石が敷かれた車道が、左側は安全面を考慮して車道より約30cm高くした人や馬が通る人馬道(じんばみち)が設けられ、歩車分離の道路として工夫されました。敷かれた石は、一般的に9俵の米俵を積んでいた牛車の重量によってすり減り、U字型の窪みが残されています。なお、復元された車石・車道は「土木学会関西支部認定土木遺産」に認定されています。

    詳細情報

    閑栖寺

    住所:滋賀県大津市横木1丁目2-2

    アクセス:京阪電鉄京津線追分駅より徒歩7分

    入場料:-

    TEL:077-522-1041

    URL:https://www.facebook.com/kanseiji/?locale=ja_JP

    営業時間:日中は見学自由

    休日:-

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    閑栖寺

    境内には車道・人馬道が実物大で再現されていて、往時の様子を伺い知ることができました。これとは別に、石の表裏2面にくぼみが刻まれた車石も残されています。車石・車道研究会の前会長でもあるご住職によると、当時は朝一斉に空の車が車道を通って大津に向かい、荷を積んだらまた一斉に京へ向かうという単線(一方通行)の道であったとのことです。村人たちが石の掃除をする取り決めもあった話なども、とても興味深かったです。

  • 東海道の名物を作り続ける 「走り井餅本家」

    走り井餅本家

    「走り井餅(はしりいもち)」の創始は、江戸中期・十代将軍徳川家治の頃に遡ります。逢坂越えの大津追分には当時清らかな水が勢いよく湧き出す井戸があり、それが「走井」と呼ばれていました。そこでその名を冠した「走り井餅」が作られ、東海道沿いに立ち並ぶ茶屋の名物となりました。
    お餅の形は水しぶきを表現しており、両端を尖らせた形は刀鍛治(かたなかじ)が走井の水で鍛えた名刀に似ていたことから、「この餅を食べれば道中剣難を逃れる」と旅人たちがこぞって縁起を担いだと伝わっています。もちろん、旅人たちの空腹を補う重要なエネルギー源にもなっていたことでしょう。

    詳細情報

    走り井餅本家(井筒八ッ橋本舗追分店<京都東インター店>内)

    住所:滋賀県大津市横木1丁目3-3

    アクセス:京阪電鉄京津線追分駅より徒歩5分

    TEL:075-502-2121(井筒八ッ橋本舗追分店)

    URL:【走り井餅本家】https://www.hashiriimochi.co.jp/index.html

       【井筒八ッ橋本舗】https://www.yatsuhashi.co.jp/index.html#banner

    営業時間:9時~17時

    休日:年中無休

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    走り井餅本家

    八ッ橋で有名な「井筒八ッ橋本舗」追分店内にある「走り井餅本家」。水しぶきを模した独特な形の走り井餅は、一般的なあんこ餅よりもお餅の部分が多く、もちもちとしてとても柔らかいお餅です。やさしい甘さのあんこにも癒されました。江戸時代の旅人たちが験担ぎにこぞって食べたという走り井餅、私達も同様にパワーをもらい、ゴール・京都三条大橋を目指します。

  • 京に入る際の厄除け寺 「徳林庵(山科地蔵)」

    徳林庵

    1550年に、南禅寺第260世住職の雲英正怡(うんえいしょうい)禅師によって創建された徳林庵。京に入る際の厄除け寺である臨済宗南禅寺派のお寺です。852年に小野篁公(おののたかむら)が木幡山の桜の大木で作った「京六地蔵尊」の一つが安置されており、通称「山科廻地蔵(めぐりじぞう)」「山科地蔵」「四ノ宮地蔵」とも呼ばれています。また境内の井戸は、かつて東海道を運送往来する牛馬の水飲み場として使われていました。そのため石組には「文政四巳年六月吉日、大阪 名古屋 金沢 奥州 上州 宰領中」という文字が刻まれており、当時のにぎやかな往来の様子を想像することができます。

    詳細情報

    山科地蔵徳林庵

    住所:京都市山科区四ノ宮泉水町16

    アクセス:京阪電鉄四ノ宮駅より徒歩5分/JRまたは地下鉄山科駅より徒歩10分

    入場料:-

    TEL:075-583-0353

    URL:https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?%20category_id=7&tourism_id=531

    営業時間:-(毎月24日地蔵会、10時~12時御開帳)

    休日:-(住職不在の場合もあるため、御札購入、御朱印拝受の場合は事前電話予約が確実です)

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    徳林庵

    今回は特別に御開帳いただき、地蔵菩薩像をお参りできました。地蔵菩薩像は色鮮やかで新しく見えますが100年に1度お色直しをしているためであり、作られたのは平安時代だと伝わっているそうです。また地蔵菩薩本願経には、地蔵尊信奉者は28種のご利益を得ることが書かれていて、私達が望むほとんどの幸せの形はこの28種のご利益に含まれているといいます。東海道の守り本尊として、古の旅人や飛脚たちも手を合わせたのだろうと想像しながら私達も御尊像に手を合わせました。

  • 旅立ち守護・旅行安全の神 「粟田神社」

    粟田神社

    室町時代から江戸時代にかけて京都と諸国を結ぶために設けられたのが、主要な街道の出入口「京の七口」です。その一つ、粟田口にある「粟田神社」にはスサノオノミコト・オオナムチノミコトが主祭神として祀られています。京都の東の出入口である粟田口は東海道・東山道への出発地点であったことから、旅の安全を願うとともに道中無事を感謝する為にお参りをする人が増えていきました。現在も、厄除け・病除けに加え旅立ち守護・旅行安全の神として広く知られ、多くの人が訪れています。

    詳細情報

    粟田神社

    住所:京都市東山区粟田口鍛冶町1

    アクセス:地下鉄東西線東山駅または蹴上駅より徒歩約7分

    入場料:-

    TEL:075-551-3154

    URL:https://awatajinja.jp/

    営業時間:授与所 8時30分~17時

    休日:-

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    粟田神社

    交通安全の神としても知られる粟田神社。これまでの旅の無事を感謝してお参りしました。今回で、こちらの「東海道五十三次ウォーキング」は完結となりますが、今後の旅の安全を祈願して、旅行守護のお守りをいただきました。
    私たちが訪れた際は境内が紅葉で鮮やかに色づいており、境内からは京都市内まで一望できました。また平安時代後期から室町時代にかけて多くの刀鍛冶(かたなかじ)が住んでいた粟田口は、山城国の刀鍛冶発祥の地とも呼ばれる土地です。境内には鍛冶の神様を祀る末社・鍛冶神社もあり、多くの刀剣ファンが訪れています。

  • 東海道・中山道の終点 「三条大橋」

    三条大橋

    京都三条通の鴨川に架かる三条大橋は、江戸日本橋を起点とする東海道・中山道の終点です。室町時代にはすでにごく簡素な構造をもつ橋があったと推定されており、天正18(1590)年に豊臣秀吉によって本格的な橋が架けられたと伝わっています。東海道五十三次の西の起点として重要な交通上の要衝であったため、以後たびたび流失した際には幕府により早期に修復されました。
    欄干の擬宝珠(ぎぼし)には、池田屋騒動の際につけられたとされる刀傷が残されています。また橋の西詰めには京に着いたばかりと思われる「弥次さん喜多さん」の像もあり、橋の上からは比叡山、北山、東山などの山並みを見られます。

    詳細情報

    三条大橋

    住所:京都市中京区

    アクセス:京阪電鉄三条駅よりすぐ

    URL:https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?%20id=33&r=1702618646.4033(京都府観光ガイド)

    営業時間:-

    休日:-

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    三条大橋

    東京・日本橋を出発してから、全10回に分けて10コースをピックアップしてご紹介してきた東海道五十三次の宿場町を巡る旅も、ついにゴール地点の京都・三条大橋に到着しました!これまでも京都には何度か観光で訪れており、その際に三条大橋を渡ったことはありましたが、実際に東海道を歩き、各地の歴史を辿って往時に思いを馳せてきた末に訪れると感慨もひとしおです。また西側から2つ目の擬宝珠に、池田屋騒動の際の刀傷と伝わる傷がはっきり残されていることには驚きました。三条大橋を渡って150mほど歩けば「池田屋騒動之址」の石碑があり、橋の手前には坂本龍馬とその妻お龍の結婚式場跡の石碑も見られます。まさに歴史的な事件が起きた地であることを肌で感じました。さまざまな歴史の香りを感じることのできるスポットでした。

編集後記

江戸時代の旅人たちは、日本橋から三条大橋まで約500kmの行程を2週間以上かけて歩いたといわれています。私たちはその一部を切り取り約150kmの道のりを歩いて、ウォーキングコースとしてご紹介してきました。その中で、それぞれの地で歴史的なスポットを見学したり江戸時代の旅人と同じ様に名物を味わったりしながら、往時の様子を今に伝えようとされている方々と触れ合うことができました。
今回は東海道五十三次最後の宿場町・大津を出発して三条大橋を目指しましたが、道中には古い道標や案内看板も多く、またお地蔵様が数多く立っていたことも印象的です。日ノ岡峠の坂道を越え、京都の町並みが目の前に飛び込んできたときにはゴールが近づいてきたことを実感しました。そして三条大橋に到着したときに覚えた大きな達成感は忘れられません。いつもは新幹線で訪れる京都も、東海道を歩いた後ではまったく印象が変わりました。
往時の雰囲気を感じながら京都を目指すウォーキングコース、ぜひ皆様も出かけてみてはいかがでしょうか。

  • ※営業時間などは変更される場合があります。お出かけの際には改めてご確認ください。
  • ※当サイトに使用している歌川広重「東海道五拾三次」の原画は、国立国会図書館デジタルコレクションを元に加工いたしました。

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