小説を生業にしているのだから、小説に触れている時間を少しでも増やしたほうが磨かれるものもあるだろうと、移動中は音楽やラジオを聴かず、本を開くことが増えた。ようやく、ここ数年の話である。

私はいくつになっても器用になれなくて、読書中に歌詞のある楽曲を聴くと、音楽に集中力を奪われてしまう。人は視覚や嗅覚に比べ、聴覚のコントロールが苦手だ。目も口も好きなときに閉じることができるが、耳だけは手を使わないと塞ぐことができない。耳に障害があるひとを除けば、聴くことというのは、喋ることや見ることよりもずっと受動的で、それゆえに私たちは、心無い言葉に傷ついたりしやすい。

旅に出ても、本を読む。

新幹線は、執筆にも読書にも最適な空間と言える。それでもノイズはどこからともなく流れてくるから、私はより物語に没入するために、いつも部屋で聴いているインスト曲をイヤホンから流す。キース・ジャレットのピアノが好きだ。一音一音が雨のように寂しくて、文字を追う心を耳から濡らしてくれる。自宅での執筆中も、名盤と名高い「ザ・ケルン・コンサート」をフルで聴くことが多い。当日はトラブルだらけだったというのに、奇跡的な演奏をしたことから伝説と呼ばれたこのライブは、プロット通りに物語が進まない小説そのもののようだし、予定通りにことが進まない旅のようでもある。

どれだけ魅力的な本でも、読んでいて疲れはするし、小さな飽きは訪れる。

そこでようやく、歌詞のある音楽の出番である。窓の外に意識を向けながら、自分という、この卑しく醜い存在を許してくれる楽曲を、耳から取り入れてみる。“息をするだけで悲しみに勝った証拠なのだ”と星野源は歌い、“安心な僕らは旅に出よう”とくるりが歌い、“眠れない夜は君のせいじゃない”とTeleは歌ってくれる。存在を許されたなら、ようやく一歩ずつ、足を前に踏み出す。“大人の選択肢は多すぎる”とEnjoy Music Clubは語り、“甲州街道に夏が訪れ、月明かりの下で職務質問を受けた”とランタンパレードは嘆き(今回はfox capture planのカバーを選んだ)、“手遅れなことがたくさんあるが、間に合うものもあること”を思い出野郎Aチームが教えてくれる。

社会に絶望しても、まだ生きていけるように。
ポケットに本を忍ばせ、耳にイヤホンを押し込み、傷つける言葉から身を守るように、電車に揺られ続けている。
 
1. Encore from Tokyoキース・ジャレット
2. Lazy Afternoonジョー・ヘンダーソン
3. But Beautiful - Liveビル・エヴァンス・トリオ
4. Köln, January 24, 1975, Part II c - Liveキース・ジャレット
5. Eureka星野源
6. ばらの花くるり
7. 鯨の子Tele
8. ナイトランデブーEnjoy Music Club
9. 甲州街道はもう夏なのさfox capture plan,おかもとえみ
10. ダンスに間に合う思い出野郎Aチーム
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Text:Masahiko Katsuse
Cover art:Yoshiyuki Okada


カツセマサヒコ

1986年、東京生まれ。2020年『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。映画化された同作のほかに、『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)、『あのときマカロンさえ買わなければ』(光文社)などがある。

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