旅に出る前に知りたい風土〜水を知る旅〜 


同じ場所でも、何も知らずに訪れるのと、事前に知識をつけてから向かうのとでは、まったく印象が変わることがある。「知っておく」ことは、初めて見るはずの景色を立体的にするからだ。事前知識があることで風景が輝き、その土地を歩くことの感慨が増す。そんな、一歩踏み込んだ、味わい深い旅。


伊吹山地の伏流水が湧き出す井戸をもつ酒蔵・冨田酒造

日本最大の湖、琵琶湖。地理的にも精神的にも琵琶湖を中心とした暮らしを営む滋賀県の人々にとって、水は切っても切り離せない大きな存在だ。
 
500年近くの歴史を持つ酒蔵・冨田酒造の蔵元杜氏・冨田泰伸さんは、「水こそがその土地の個性を表す」と力を込める。酒づくりを通して水と向き合い続けるなかで、日々、その想いは増す。「日本酒の原料といえば、まず注目されるのが米です。それだけでなく、本当にこの土地の味を表現するものは何かと考えた時、水もまた重要だと思っています」。
冨田酒造が位置するのは、琵琶湖の最北端、滋賀県長浜市木之本町。賤ヶ岳山麓の北国街道沿いの風情ある一画に、酒蔵を構える。代表銘柄の「七本鎗」は、賤ヶ岳の合戦で武功を立て、豊臣秀吉を天下人へと導いた加藤清正ら勇猛な七人の武士「賤ヶ岳の七本槍」にちなんで名付けたもの。地域の歴史と、酒造りの伝統を踏襲しながらも、現代の食文化や生活スタイルに合わせた酒づくりをするつくり手として、日本酒好きの間でも一目置かれている。
酒自体の質の高さもさることながら、その一方で、水に対する意識の高さでも冨田さんは有名だ。2022年には、長崎大学と連携して蔵周辺の井戸水を採取し、成分や水源を調査。そこで得た知識を、フィールドワークを通じて地元の小学生たちに伝えるほか、メディアなどでも地域の水についての情報を発信し続けている。

 

当たり前のように使っていた水を、あらためて見つめ直す


2007年頃に十五代目の杜氏に就任したとき、冨田さんはあらためて「蔵周辺の自然を想起させるような地酒をつくる」ということを意識した。それを実現していくうえで、まずは米についても熟考したが、ふと「実は水もまた、この土地らしさを表すのではないか?」と気づいたのだ。その頃から、冨田さんは水質の研究に力を入れ始めた。冨田酒造では、敷地内にある井戸水で酒づくりをしている。そこで、長崎大学の教授と学生に地下水調査を依頼。すると、その井戸には伊吹山地に35〜40年前に降った雨水や雪解け水の伏流水が湧き出していることがわかった。

「雨や雪はほぼ無味無臭で、成分としてもほぼ何もないそうです。それが、地中を通って蔵の井戸まで流れ着く過程のなかで、大地を吸い込み、カルシウムやミネラルを含んでいくのです。これらの成分が酒の味を形成していくことを考えれば、つまり水こそが土地の味を表すことになると思ったのです」

これを冨田さんは「土地の味を醸す」という言葉で表現する。
「ワインの説明をするときに、テロワールという言葉がよく使われます。日本語では『風土』と直訳される場合もありますが、本来の意味はもっと複雑。原料となるぶどうの農園がある場所の日照や風向き、湿度、体感するもの、そこでの人々の暮らしなど、その土地のありとあらゆる要素を指す言葉なんです。

ワインは、ぶどうを潰して果汁を出して醸造していきますが、日本酒の場合は米にはほとんど水分がないので仕込み水を大量に使います。となると、やっぱり水は日本酒の味を構成する大きな要素なんです」

 

「地酒」とは何かを突き詰める


「近年、日本酒のフレーバーの幅が広がって、フルーティーで華やかなものも増えてきました。そうした時流があるなかで、冨田酒造らしい酒とは何か、と考えるんです」

と、冨田さんは酒の味わいについて説明する。「七本鎗」の名前の由来を考えれば、これは武将の酒である。それも、戦国時代に活躍し、歴史に名を残した大名たちの酒だ。

「だから、野武士のような無骨さを表すのではなく、芸に秀で、力強さと気品を兼ね備えた一流の武士を思わせる味にしたい。そして、滋賀県は琵琶湖の恩恵を受けた発酵文化があり、鮒寿司など滋味深い味わいの料理が多いですよね。だから、酒にも滋味が大切」
冨田さんが手応えを感じるのは、県外で「七本鎗」を仕入れている酒屋や飲食店の人たちが滋賀に訪れたときだそう。

「皆さん、琵琶湖の近くに来て、滋賀の料理を食べながら『七本鎗』を飲むと、『だからこういう味なんだ!』と、腑に落ちるそうです。旅先で地のものを食べるとおいしい、という経験よりもさらに一歩踏み込んで、ガチっと何かがはまるような感覚があるのでしょう。それは、私にとっても嬉しいこと。この土地の空気と料理に、うちの酒がちゃんと調和しているんだなという手応えを感じます」
冨田酒造では木桶を使った酒や、完全無農薬栽培の米を原材料とする酒など、さまざまな製法や原材料を用いながらたくさんの種類の酒を醸造している。もちろん、それぞれの味は異なり、冷酒に向くもの、燗酒にして味が開くものなど、特徴も違う。だが、すべてに共通しているのは、クリアな印象と米の旨みのバランスが取れた、飲み心地の良い酒であるということだ。もしかすると、それが冨田さんが話す「土地の味」なのかもしれない。
冨田さんに教えてもらい、冨田酒造の井戸水の源流を辿って長浜市内の山を歩いた。戦国時代の史跡が点在する山道を進んでいくと、そこかしこに湧水地が見えてくる。鬱蒼と生い茂る針葉樹の間からは陽の光が差し込み、水面がきらきらと輝いていた。今までは、湧き水がこの先どこへ流れて、どんなふうに使われていくのかを考えたことはなかった。
新幹線に乗る前にどこかの小料理屋にでも寄って、地のものを食べながら『七本鎗』を飲んでみたい。合わせるのは名物の鮒寿司か、ビワマスの刺身か。そんなことを考えながら、長浜を後にした。
(水を知る旅・後編へ続きます)

水を知る旅・フォトギャラリー

湖北地方をさらに味わう旅



Text:Ayano Yoshida
Photo:Yuki Arimitsu



いつもと違う滋賀県観光には、長浜市の〈冨田酒造〉がおすすめ。
 

冨田酒造有限会社


所在地滋賀県長浜市木之本町木之本1107
アクセスJR木ノ本駅から徒歩約5分
電話番号0749-82-2013
URLhttps://www.7yari.co.jp/
Instagram@shichihonyari_sake
営業時間9:00〜17:00
休業日不定休


 
※記事中の商品・サービスに関する情報などは、記事掲載当時のものになります。詳しくは店舗・施設までお問い合わせください。